母子家庭世帯年収400万の私が大手企業に入社した話

タイトルの通り、我が家母子家庭だ。

私が小学生の時に父がアル中で母に暴力を振るうようになり、追々子どもである私や姉や妹さんまでにも暴力を振るうようになり母は離婚した。

最初は「姉を父の方に、私と妹を母の方に」と母は言っていたが、結局みんな母と暮らすことになった。

父とは定期的に会う代わりに養育費を月10万払う約束になっていた。

 

母は幼稚園の先生だ。だけど子育てをするために一度仕事を辞めている。だが父と離婚をすることになり10年以上のブランクがありながらも幼稚園の先生として復帰した。

でも、ブランクがある母は幼稚園に復帰してもそもそも賃金が低い業界なので良い賃金がもらえない。当時は多分年収250万とかだったと思う。

私は学童保育に入れられ、習い事の習字に毎日16時から19時まで行っていた。好きだったから良かったけれど習い事の月謝は7000円だ。それに試験の時にはさらにお金がかかる。結構厳しかっただろうけれど、知らない場所ほっつき歩かれるよりは安全な習い事にいて欲しかったんだろう。

 

父とは月1〜2回会っていた。その時に養育費をもらっていた。しかし習い事が忙しかったりすると父に会えず、振り込まれない養育費。次第に会っても渡されない養育費。気付いたら払われなくなっていたのは子供でも気付いていた。

家は家賃6万円の公営住宅。学校に通うだけでなんだかんだお金がかかる時代。子供は3人。遠足や運動会の写真を買うお金すら無かった。

 

母はブランクを超えた5年後に転職をした。公立の幼稚園から私立の幼稚園に転職をした。そこで役職がついた。でも年収は400万円程度だった。

それでも母は一生懸命働いてくれた。姉や私は交代で夜ご飯を作った。お陰で今料理の腕は上出来だ。母は仕事から帰ってくると死んだように眠っていた。命削って働いてくれてたと思う。

お陰で姉は高校から私立へ、私と妹は大学から私立へ進学させてもらった。

 

私は有名大学に進学し、学業だけでなくアルバイト傍ら社会奉仕活動などをしてきた。それを評価され、大手メーカーから内定をもらった。誰もが羨むような超一流企業。母も涙を流して喜んでくれてお祝いで初めて家族で焼肉を外食した。

 

入社時点で母の年収を上回った。30年働いてる母の年収を。複雑ではあったがそれで恩返しをしていこうと決め、初任給で母が欲しがってたかなり良い炊飯器を買ってあげた。

 

しかし研修が進むにつれ、同期のことをよく知り始めた。お父さんが弁護士、帰国子女、某外資系通信メーカーの日本支社長の娘、両親医者…母子家庭の子は1人もいない。

10万もする経営セミナーを受けてるのは基本、専門学校通って100万近くかけて資格取得してる子や、海外の市場調査と名乗り卒業前3ヶ月海外留学してる子は5人いた。

母子家庭の私、海外旅行は修学旅行のみ。経営セミナーなんて行かずに大学の講義を受け、資格取得はメルカリで買った本で勉強し、卒業前は少しでも学費を母に返すためにバイトを必死にしていた。

 

会社に在籍する日数が増えれば増えるほど「お前の居場所はここじゃないよ」って言われてる気分になった。

 

なぜか会社は10万もする経営セミナーを受けてるの子たち、専門学校通って100万近くかけて資格取得してる子や、海外の市場調査と名乗り卒業前3ヶ月海外留学してる子たちをとても評価した。「入社前にそういう経験をしてるのは社会でもネタにもなるし評価されてくんだよ!」と。そして親が○○な子たちには圧倒的待遇だった。簡単に言えば新卒がつく方のできない部署への配属だ。

私と言ったら、同期で唯一、同じ支店に同期が1人もいない地方の営業所になった。他のみんなは東京や名古屋や大阪や福岡。そうじゃなくても同期が必ず同じフロアにいる。なぜか私だけ地方の営業所に、たったひとり。

 

地方の営業所はひどかった。そもそも人員が足りてない。私は他の同期の3倍の数の得意先を持つことになった。周りの先輩よりもなぜか規模も大きいし、数も多い…

上司は残業大好き。経営職は残業代なんてない年俸制だ。だから毎日8:00〜23:00まで働かされた。帰ろうとすると「帰るの早いですね」と言って足止めされた。

23:00まで働いた後は「飲みに行くぞ」と言われ1:00ごろまで飲みに行く生活が続いた。帰宅すると疲れて玄関で寝てしまい5時ごろに目が覚めてお風呂に入りそのまま会社に行く準備をして8時には会社にいた毎日。

先輩に相談しようとすると「お前社会なめんなよ」と言われた。ただ仕事のやり方の相談をしたかっただけなのに。

残業時間は36協定をオーバーしまくり、毎月反省文の提出を求められた。上司のコメント欄には「新人のため仕事に慣れるために必要な残業」と書かれていたためそういうもんなんだと納得するしかなかった。監査が入れば良いのにと思ったのにこなかった。

同期に相談をした。「お前だけ大変そうだな!地方だもんな!」と言われた。相談したことを後悔した。

なぜこんな働き方だったかというと、前任者が仕事を全くしない人だった。どちらかというとできない人だったらしい。会議にも出る余裕がないくらい余裕がない人だった。だからやらなければいけない仕事すら終えることができずやらなければいけない仕事+ミスをしたままにしていたものが私に降ってきて、新人の私はやらなければいけない仕事をこなすことでも精一杯なのに、ミスの穴埋めまですることになり、何故か毎日働き続けた。優先順位はミスの穴埋めの謝罪からだった。だからやらなければいけない仕事は私用パソコンに送って土日に家でやるしかなかった。サービス残業も良いところだ。

だってやらなかったら上司に「お前もできないのか?やっぱりその程度なのか?」と詰められるからだ。上司と初めてあったとき知らない地方の企業の財務諸表を渡されて分析を求められた。おどおどしてると「こんなのもできないやつが社会で通用すると思うなよ」と言われた。おどおどしてた理由は初めて会った上司を前に緊張してる中でそんなものを渡されたからであり。私は簿記の資格を高校生でとり、大学でも会計学を副専攻していたくらいだ。

 

そんな生活を続けていたらうつ病になってた。

 

食事は喉を通らない。

疲れているのに眠れない。

仕事してるだけなのに涙が出てくる。

お金はあるのに使い方がわからない。

 

そもそもやっぱり私が入る場所じゃなかったと思った。

 

結局うつ病になって会社を休まざるを得なくなった。それくらいボロボロになっていた。

休んでる間は傷病手当金が払われるが、それはすぐには払われず、ずっと貯金を崩して生活するしかなかった。奨学金の返済もあり、家賃や光熱費はかかり、精神科の高い診察料と定期的に会社に出す高い診断書。1年で通院だけで15万ほどかかってた。そして気付いたら貯金は底をついていた。

普通そこで親に助けを求められるんだと思う。でも我が家は世帯年収400万の母子家庭だ。母にお願いできるほど母に余裕がないのを分かっていた。

そして私は消費者金融に手を出すしかなかった。

 

大手企業には大手企業に見合う人が勤めないといけないようだ。本当に生活格差を感じる場面が多くありすぎた。

社会人になって私個人が生活する分にはお金は十分とあったが、ただ生活するためだけのお金ではなく、何かあったときのための生命保険をかけたり(かけてたおかげで骨折をしたとき助かった)、奨学金の返済をしていたため自由は少しだが制限せざるを得なかったのも事実。

お盆やゴールデンウィークの旅に海外旅行に行く同期を羨ましくインスタで見てはいいねをおすことしかできなかった。

 

私はもうすぐ復職をする。

転職活動をしていたがコロナの影響でどこもダメになり、復職するしか手段がなくなった。

転職するにも地方に住んでるため引っ越しに100万近くかかる。その資金すら今ないのだ。

後5年働いたら多分今感じてる格差は私個人には無くなる。収入も安定し、仕事も落ち着くと信じてる。

でも劣等感は常に持ったまま働き続けるんだろう。

正直早く転職して、自分に見合う場所で成果を出したい。でもいつそれができるかわからない。まさかこんな理由でコロナを恨むとは思わなかったよ。

お題「わたしの仕事場」